#8. 思い込みの記憶を手放す旅

私は、小学生の頃、公営団地に住んでいました。敷地の広い団地で、その中にはたくさんの公園がありました。

時々そのころを思い出して「ママが子供の時はこんな公園で遊んでいたのよ。」と話していました。

最近、実家に帰省した際にその思い出の場所を子供に見せたくなり、団地を訪れることにしました。

家の前のすべり台

子供の頃へのタイムスリップ

車で向かう道は、当時毎日歩いていた通学路です。細い道だったと記憶していましたが、車で入ると一台走るのがやっとの細い道のままでした。

対向車が来ないかどうかドキドキして進んでいくと、「あそこの角に〇〇ちゃんのおうちがあってよく遊びに行ったな~。」とか、

「ここの森でよく遊んでいたけど、今は家が建っているな。」と当時と変わらない景色や姿を変えた景色が目に飛び込んできます。

いよいよ団地につくと、外壁は色が塗り替えられているもののあの当時のままで、色々な思い出がよみがえりました。

ここを曲がるとこんな道があるとか、こんなに覚えているものなのだというほど、よく覚えていました。

家の前の鉄棒やすべり台、そのとなりの秘密基地のような広場などそのまま残っています。

当時は小学生でしたので今の私がみるとこんなに小さかったというほど小さい公園もありました。

よく、オタマジャクシやザリガニを取りに行った川はもう水が流れていませんでした。

団地には、若いファミリーは多くは住んでいないのか、公園は壊れたところはそのままに、特に整備されることなく残されているようです。

それでも、私にとってはどの公園も思い出があり、心をワクワクさせるものでした。

時間がなく、少ししか滞在できなかったのが残念でした。

子供には、「見せてもらった公園、一つも素敵なのなかったよ・・。」と言われましたが、こんなにも当時を思い出すのかというくらい私にとっては楽しい時間でした。

そして、ふと思いました。私は、あまり学校も好きではなく小さいころのいい思い出はないと思っていましたが、こんなに楽しい気持ちになるんだなと。

小学校5年生からは塾にも通っていたのであまり友達とも遊んでいなかったと記憶していましたが、公園をたずねるたびに遊んだ友達の顔が思い出されたことに正直驚きました。

人はいつのまにか自分の記憶を書き換えてしまうのかもしれません。

案外、自分が思っていることって思い込みが多いのかもしれませんね。子供時代がこんなに楽しかったのだと気づけてうれしくなりました。

そして、我が子にも近所の友人との楽しい思い出をたくさん作ってもらいたいと願っています。

(最近、お友達が家に遊びに来てくれても、それぞれがタブレットを見ていて何とも言えない気持ちになります。)

まとめ

たまには、昔なじんでいた場所に戻ってみると、頭で思っていたことと異なる感情が生まれるかもしれません。

変わった風景も、変わらない風景も、きっと今の自分に何かを教えてくれるはずです。